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東京地方裁判所 昭和32年(刑わ)1301号 判決

被告人 山本兼弘

大四・一一・一六生 無職(元福岡県副知事)

岩佐秀盛

明三三・二・三生 〃 (〃   出納長)

向井定利

明四三・一・二六生 会社役員

主文

(1)  被告人山本兼弘を懲役一年六月に、被告人岩佐秀盛を懲役一年に各処する。

(2)  但し、被告人岩佐秀盛に対しては本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

(3)  訴訟費用中、証人細野猛、同深沢恭一に各支給した分は、被告人山本兼弘の単独負担とし、証人井川稔、同前田彦、同寺田重康、同和田守雄、同石井了、同竹内清、同国崎蔵次郎、同原田一人、同村井進、同朝日邦夫、同長沢誠、同森五郎、同梶原昌、同三角享、同榎本重彦、同池田豊、同石井富士雄、同石辺唯雄、同岸昌、同森田欽二に各支給した分は、被告人山本兼弘、同岩佐秀盛の連帯負担とする。

(4)  本件公訴事実中、収賄の点につき被告人山本兼弘は無罪。

(5)  被告人向井定利は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人山本兼弘は、昭和十四年三月東京帝国大学法学部政治学科を卒業後、同年四月台湾総督府属に任ぜられて同総督府に赴任し拓務属を兼任、翌昭和十五年六月同総督府地方理事官に任ぜられ台北州新荘郡守及び高雄州総務部教育課長を歴任、昭和十六年十月拓務事務官となつて拓務省管理局財政課等に勤務し、更に昭和十八年五月地方事務官に任ぜられて三重県土木部監理課長、内政部教学課長、総務課長等を歴任、続いて昭和二十年十一月地方警視に任ぜられて大阪府警察局警備課長となり、昭和二十一年三月再び地方事務官に任ぜられて福岡県経済部水産課長となり、次いで内務部(昭和二十二年五月より総務部と改称)庶務課長兼人事課長に就任し、当時同部々長であつた土屋香鹿と昵懇の間柄となり、続いて昭和二十三年十月右土屋が総務部長より同県副知事に就任したのに伴い、同人の推挙によりその後を継いで総務部長に補せられ、昭和二十八年一月右土屋が副知事を罷免されるや、総務部長を辞して総務部人事課勤務となり、次いで同年三月三十一日依頼退職し、その後しばらく石炭の販売やマンガン礦の採掘等の仕事をしていたが、右土屋が昭和三十年四月施行の同県知事選挙に立候補するや、右事業を抛つてその選挙運動に尽瘁し、同人の当選に伴い、再びその推挽によつて同年六月二十三日同県総務部長に復職し、歳入歳出予算、税その他同県の財務事務いつさいを分掌していたが、更に翌昭和三十一年六月二十六日には同県の副知事となつて、昭和三十二年四月依頼退職するに至るまで引続きその職にあつたもの、また被告人岩佐秀盛は、高等小学校を卒業後、大正六年十月福岡地方裁判所雇を命せられて同裁判所管内吉井区裁判所田主丸出張所に約三年間勤務し、次いで福岡県浮羽郡水繩村役場書記となり、その後一時同郡農会書記を勤めたうえ、昭和三年十月福岡県耕地整理雇を命ぜられて内務部耕地課に勤務し、その間、昭和五年一月福岡農林主事補に、昭和七年七月福岡県属にそれぞれ任ぜられ、その後総務部財務課、知事官房庶務課勤務等を経て、昭和十八年六月地方事務官に任ぜられて内政部振興課兼知事官房庶務課勤務となり、次いで福岡県福岡地方事務所粕屋出張所長及び同県嘉穂地方事務所長を経て、昭和二十二年四月内務部審査課長、同年六月総務部地方課長兼審査課長、同年十二月総務部秘書課長、昭和二十三年九月総務部地方課長に順次補せられ、その間、右総務部勤務当時前記土屋副知事のもとで、総務部長となつた被告人山本と昵懇の間柄となつてその政見に同調するようになつたが、その後昭和二十六年七月より福岡県議会事務局長等を経て、昭和三十年七月二十六日同県出納長に任ぜられ、歳計現金等県の現金又は物品の保管出納その他の会計事務いつさいを統轄担当し、爾来昭和三十二年四月依頼退職するに至るまで引続きその職にあつたものであるが、

被告人山本が前記のとおり、昭和三十年六月二十三日福岡県総務部長に復職した当時における福岡県議会の勢力分野は、過去八年間にもわたる社会党系知事による県政の後をうけ、与党たる保守党と野党たる社会党との勢力が互に相伯仲し、その間に中間各小会派が介在浮動するというきわめて不安定な状態であつたので、これを憂慮した被告人山本は、土屋県政の運営を円滑ならしめんがための右中間小会派に対する政治工作の必要を痛感していた折から、たまたまその頃福岡市内の総務部長公舎において、かねてより自己と所見を同じくするところから同志としての交わりを結んでいた向井定利と話し合つていた際、同人に右福岡県議会の実情を打ち明け自己の苦衷を訴えたところ、当時炭礦の経営に失敗して新な事業資金の調達に苦慮していた向井から「炭礦方面の金でも集め一、二億円を一年間ぐらい銀行に預け入れるようにあつ旋し、その功績により資金の貸付を得てこれを自分の事業資金やあなたの政治資金に当てるようにしてはどうか」とすゝめられたので、右福岡県議会における中間小会派に対する与党化工作のため資金調達の必要に迫られていた被告人山本もこれに賛意を表して乗気の態度を示した。そこで、向井においては、帰京後かねて知合いの間柄である元福岡銀行東京支店長井川稔の紹介で近づきとなつた都内千代田区神田神保町二丁目十九番地所在の株式会社第一相互銀行(以下第一相互と略称する)常務取締役根橋武男に対し「福岡県方面から一、二億円を一年間ぐらい預金するから、あなたのところで預つて多少金を貸してもらえないか」などと申し向け、なおこの預金は、福岡県総務部長たる被告人山本が集めてくれるものである旨をも打ち明けて、先方の意向を打診してみたところ、当時たまたま同銀行の経営悪化に伴う資金不足を糊塗するため預金集めに狂奔していた同人から繰り返えし右預金あつ旋方の懇請を受けるとともに、該預金成就の際には所要資金の貸付のうえに、なお預金額の一分に相当する謝礼をも提供する旨の確約を得たので、同年八月頃福岡市に赴いた際、前記総務部長公舎において、被告人山本に対し右根橋との交渉の経緯を報告して、第一相互に預け入れる金を集めてもらいたい旨要望した。ところが、その間、被告人山本は、炭礦業界が不況のため一、二億円もの金を調達することがとうてい困難であることを知つて考慮の末、県庁職員を主たる組合員として預金の受入れ及び資金の貸付を行う等、その福利厚生を図ることを目的としている福岡県庁信用組合(以下県庁信用組合と略称する)にいつたん県の歳計現金を預託したうえ、直ちにこれを第一相互に転送預金させる方法を一策ともしていたが、実情もわからぬ遠隔の地にある一相互銀行に県歳計現金を預金することに不安躊躇の念を禁じ得なかつたので、前記の報告をもたらして来た向井に対し、「炭礦は想像以上の不景気で炭礦方面から金を集めることはできない。県庁信用組合にやる金が一、二億円あるが、わざわざ東京の銀行に預金する理由がない。県会で攻められると困る」などと申し向けて一応難色を示しはしたものの、その際、なお向井から、今後上京の機会に右根橋と会つて直接打ち合わせをするように勧められたので、その後、同年九月中旬頃他用で上京した際、向井のあつ旋により同人とともに都内港区赤坂福吉町二番地所在の料亭「ゆう月」において右根橋と会合したところ、その席上同人から直接「第一相互では運営資金として差当り一億円程度の相当期間据置ける預金が戴きたい。ほかの所で一億円の調達はむずかしいかも知れないが、県の公金を直接あなたの力で第一相互に預金してもらうのが一番手取り早いのではないか」などと持ちかけられたため、さきに向井に述べたと同様「県庁信用組合にやる金が一億円ぐらいあるのだが、県の公金を一億円も県と何の関係もない東京の銀行に長期間直接預託することは前例もないことで当然問題になる。何かお宅の銀行に直接預託するという大義名分を立てない限り駄目だ」と言つて、確答を避けたが、かさねて根橋から「第一相互が東京で開設している報徳診療所で福岡県人を実費診療することにより大義名分を立てることとしてはどうか」との提案を受けるに及び、ともかく右案を検討することを約して、一応その場を別れた。次いでその数日後、向井が前記第一相互に赴いた機会に同銀行社長堀口貫道及び常務取締役渡辺虎雄の両名からも繰り返えし預金のあつ旋方を懇請されたが、その際渡部から一億円の預金が実現すれば一千万円の謝礼を出す旨の申出を受け、更にその直後同銀行附近の喫茶店において根橋からもまた、右一億円の預金が入ればその謝礼として第一相互より被告人山本に対して一千万円を贈るほか、別に向井に対しても百万円を贈呈する旨の言質を得たので、同月下旬頃またもや西下して前記総務部長公舎に被告人山本を訪れ、根橋から托されて来た前記報徳診療所の広告文案を同被告人に示してその意見を求めるとゝもに、右根橋らの謝礼金提供の意向をも申し伝え、「成功すれば自分も根橋との話合いで生活の途が立つ」などと言い添えて、しきりに預金実現のため力添えをするよう懇望したため、被告人山本においても、遠隔の地にある未知の一相互銀行の信用状態について危惧の念を禁じ得ないものがあつたけれども、さしせまつた政治資金の必要と向井に対する友情の念とに駆られて、こゝにいよいよ第一相互に対する預金の実現に努力すべくその意を決し、「報徳診療所の案では名目が立たないが、それ程言われるなら、自分の方で大義名分の立つ預金方法を考えてみる」旨返答して向井を帰京せしめ、その後種々考慮を廻らした結果、かねてより福岡県の外廓団体として住宅金融公庫からの貸付金と県の補助金とを主たる財源とし同県の住宅政策の実行面を受け持つていた財団法人福岡県住宅協会(以下住宅協会と略称する)に対する事業資金融資名義で県庁信用組合に歳計現金を預託したうえ、これを住宅協会にまわさず、そのまゝ右県庁信用組合より第一相互に預金させようとの腹案をたて、同年十月初頃上京の際、前記「ゆう月」において再び向井をまじえて根橋と会合した席上、同人らに対し「県庁信用組合には従前から県が歳計現金の預託をしている。ところで県の外廓団体の住宅協会に事業資金の必要があるとも聞いているので、その方に貸付けるということで一億円程度を県庁信用組合に預託し、これを住宅協会にまわさず第一相互に持つてくることも考えられる。しかしこれは僕の思いつきだけなので実現できるかどうかわからない」旨を述べて婉曲にその構想を打ち明け、これをきいた同人らから改めて右構想の実現方を懇請されたが、更に引続きその頃前記第一相互において堀口社長及び渡部常務らと面会し、右両名からも預金実現方の依頼をうけた。かくて、福岡市に立戻つた被告人山本は、右構想に基き第一相互に対する県歳計現金一億円の預金を実現する手苦を整えるべく、まず同月十日頃、県建築部住宅課長で前記住宅協会の事務長をも兼ねている長沢誠を福岡市天神町一番地所在の福岡県庁総務部長室に招致し、住宅協会の事業資金需要の状況を問いただしてみたところ、「今年度内にある程度ゆとりを見て一億円程度が必要であり、それも今すぐ次々と必要というわけではない。おいおい必要であろうという程度のことであるが、公庫から早く貸付けをうけたり、建売住宅の処分を急いだり、年末の県会で債務負担をしてもらい、地元銀行から融通を得るなどしてやりくりしたい」という程度のことであつて、前記構想実現のためには好都合であると思われたので、取り敢えず長沢に対し右事業資金一億円の引当分として住宅協会から早目に歳計現金の預託申請書を提出するよう示唆するとともに、更にその直後、県建築部長で同時に住宅協会の常務理事でもある村井進を同様右総務部長室に招致し、同人に対しても右歳計現金一億円の預託申請書提出の件について諒解を求めおき、次いで同月中旬頃、かねて土屋県政の支持者であり、また一身上のことについて被告人山本に恩義を感じている県庁信用組合の組合長池田豊を前記総務部長公舎に招致して、同人に対し「東京の第一相互に一億円を一年間程預金すれば、先方から一千万円ぐらいが政治資金としてもらえるという話だ。それで住宅協会の事業資金ということで君の組合に歳計金一億円を預託し、それを君の組合から第一相互に預金してもらいたい」旨事情を打ち明けて協力方を求め、同人が県歳計現金を遠く東京辺の名もよく知られていない相互銀行に一年もの長期間預金することについて不安躊躇の色を示すや、更に土屋県政の円滑な推進を計るうえには与党化工作のための政治資金を必要とする所以を縷々開陳して説得に努め、ようやくその諒承を得るに至つたが、その際被告人山本は、なお「住宅課長の話では、住宅協会は今すぐに一億円の金が必要というわけではないらしい。預託期間は三ヵ月に区切られておるし、住宅協会の借入れ申込みも予想されはするが、その時は僕がうまく取り計らつて第一相互に預金した金が動かないようにする。しかし預託期間とにらみ合せ、第一相互との間は形式上三ヵ月の通知預金としておくのがよかろう」などとも申し添え、またかくして県から県庁信用組合に預託される右歳計現金について県庁信用組合から県に支払うべき日歩一銭一厘二毛の割合による利息と、県庁信用組合が更にこれを第一相互に預金することによつて同銀行から受け取るべき日歩九厘の割合による通知預金の利息との差引不足額の調整方法については、右池田において近く上京する機会に前記根橋と直接打合わせを行うことに一応話合いがついたので、被告人山本は、更にその頃再三にわたり、右県庁内の出納長室等において、前記のとおり、かねがね自己と政見を同じくして土屋県政支持のために尽瘁している被告人岩佐に対しても、「実は政治資金が欲しいのだが、東京の銀行に一億円ぐらい預金すると正規の利息のほかに一割程度の金を出してくれるそうだ。県庁信用組合の金を東京の銀行にまわしてもらうから、信用組合に歳計現金一億円を当分の間預託してくれ」などと情を明かして頼みこんだが、右預金の受入先となる銀行の経営状態等に疑念を感じた被告人岩佐は、将来これが回収困難となつて県に損害を及ぼす恐れあることをも憂慮して容易にこれに応じようとはしなかつた。ところが、かくするうちに同年十月末頃、被告人山本の与えた前記示唆に基き住宅協会側で起案した「協会の住宅建設計画完遂のため早急な資金追加措置を要するので、歳計現金を県庁信用組合等へ預け入れのうえ、協会が一億円を限度として一時借入れ出来るよう資金調達につき援助されたい」旨の同年同月三十一日付(三〇住協第一〇九三号)財団法人福岡県住宅協会理事長土屋香鹿より福岡県知事土屋香鹿宛て「協会事業費支払資金の調達援助について」と題する禀議書(昭和三三年証第八六〇号の一に添付のものはその正本)が、決裁のため当時同協会の副理事長でもあつた被告人山本のもとに提出されたので、同被告人は、土屋理事長に代つてこれを決裁したうえ、同年十一月上旬頃またもや前記出納長室に赴いて被告人岩佐に対し「住宅協会からその事業資金貸付のため一億円の預託申請書が出ているので、これをまわすが、実は協会にこれだけの金額は必要ではない。それでこの金を一年間ぐらい東京の第一相互に信用組合から預金させる考だ。これは無理な話と思われるだろうが、第一相互に当分の間預金することにすると先方から一千万円程度の政治資金が出してもらえるということに話がついているから頼むのだ」などと更に詳細な事情を明かしてひたすら同被告人の説得に努めた。しかし、元来県予算上の保有金たる性質を有する歳計現金を県金庫事務取扱銀行(株式会社福岡銀行本店)以外の者に預金(預託)するのは、事の性質上特に必要ある場合に限り認められる例外的な措置というべきであつて、もしこれを誤るにおいては、たちまち県の財政上に重大な危害を招来する恐れがあることに鑑み、かゝる場合県出納長たるものは、当該預金目的の当否を厳正に審査判断すべきはもちろん、更に関係預金先の経営状態、信用程度等を精査検討して回収の確実を期するとともに県財政の状況を勘案して預金の種類、期間及び金額等をも慎重に決定、以て県に財政上の損害を加え、または予算執行上の支出計画に支障を来すようなことのないよう安全確実な措置を講ずべき職責があるにも拘らず、被告人岩佐においては、被告人山本の要望する県庁信用組合に対する歳計現金一億円の預託が、その実目的とされている住宅協会の事業資金貸付には使用されないで、単に同組合名義で第一相互に右同額の一年据置きの預金をするための方便としてされるものであり、従つて同組合より約定どおり三ヵ月の預託期間満了とともに右歳計現金の返還を受けることはとうてい困難であることを同被告人の打明話によつて承知していたのはもちろん、そもそもまた右窮局の預金先として予定されている第一相互なるものが遠隔の東京都内に所在して従来福岡県とは何らの取引関係がなく、その経営状態、信用程度等も全く不明な一相互銀行にすぎないのみならずなお預金額の一割にも及ぶ多額の謝礼金までをも提供してひたすら預金の獲得に汲々としている事実を聞知するに及んでその経営内容に一脈の不安を感じ、将来同銀行に対する前記一億円の預金の回収が困難となり、ひいて県庁信用組合への預託歳計現金の引揚げにも支障を来して県に対し財産上の損害を蒙らしめることになりはしないかとの懸念を抱きながらも、被告人山本のたびかさなる要請を拒みきれずして敢て同銀行及び被告人山本の利益を図る目的を以て、前記自己の職責を尽さずその任務に背き、福岡県歳計現金一億円を住宅協会に対する事業資金融資名義を以ていつたん県庁信用組合に預託したうえ、更にその全額を同組合を通じ右第一相互に一年間据置きで預金させることを承諾し、こゝに被告人岩佐及び被告人山本両名の間に共謀関係が成立するに至つた。そこで被告人山本は、同月十日頃、さきに建築部において起案され、すでに前記村井建築部長の決裁を了した「住宅協会よりの資金調達援助依頼の内容は己む得ないと考えられるから、歳計現金を県庁信用組合等の金融機関へ預託し、該預託金を住宅協会へ融通せしめ、以て住宅建設資金確保を万全ならしめたいので、県庁信用組合等に対する歳計現金一億円の預託手配方を出納長に依頼してよいか」との趣旨の「福岡県住宅協会の住宅建設事業資金の調達援助について伺」と題する禀議書(前同証号の一)――総務部長、建築部長連名の出納長宛「歳計現金の預託について」と題する依頼書案、及び前記住宅協会理事長より知事宛「協会事業費支払資金の調達援助について」と題する書面正本各添付――に対し、総務部長及び知事の代理として異議なくこれを諒承する趣旨の各押印をなしたが、これに引続き「住宅協会をして住宅建設事業着手に必要な一億円を金融機関より一時借入れさせ以て資金操作を円滑ならしめたいので、所要資金を福岡県庁信用組合等に預託して頂きたく手配方依頼する」旨の同年十一月十一日付(三〇住第四七〇号)総務部長、建築部長連名の出納長宛「歳計現金の預託について」と題する依頼書(前同証号の二に添付してあるもの)――前記住宅協会理事長より知事宛「協会事業費支払資金の調達援助について」と題する書面の写添付――の送付をうけた被告人岩佐もまた、同月十五日情を知らない出納長室庶務係原田一人をして「福岡県第二次住宅建設五ヶ年計画の線にそう福岡県住宅協会の事業資金として、県予算の措置があるまで、同協会に融資するため、福岡県庁信用組合に預託し、同組合より所要額を右協会が借入れる」ものとして、「県庁信用組合に対し金一億円を利率年四分一厘の三ヵ月定期預金として預託してよいか」との「歳計現金の預託について伺」(三〇出第一八〇五号)(前同証号の二)と題する禀議書を起案させ、先ず自らこれに決裁印を押捺したうえ、右原田をして右禀議書を持ち廻らしめ、翌十六日右歳計現金の預託に異議ない旨の、総務部長たる被告人山本の合議印及び知事土屋香鹿の承認印の各押捺を得た。次いで同月二十日頃、被告人山本は、所用のため上京して福岡市に帰来した池田組合長から、同人が右上京の機会に前記根橋と話し合い、前記一億円は第一相互へ通知預金として預け入れるが、その利率は県庁信用組合が県より預託をうける歳計現金につき県に支払うべき利率と同率の日歩一銭一厘二毛の割合とすることとし、また送金方法は、三菱信託銀行福岡支店から富士銀行九段支店へ電信送金して、右九段支店の第一相互口座に送り込むべく打合わせを遂げて来た旨の報告を受けたので、同人に対し県庁信用組合に歳計現金一億円の預託があり次第、直ちにこれを第一相互に送つてもらいたい旨念を押し、相ともに県庁信用組合に対する歳計現金の預託施行を待ちうけていたところ、他方被告人岩佐においては、前記のとおり、「歳計現金の預託について伺」(三〇出第一八〇五号)と題する禀議書に自ら決裁印を押捺するとゝもに、総務部長たる被告人山本の合議印及び土屋知事の承認印を得たものの、当時たまたま歳計現金の残高が乏しく、右禀議書に従い歳計現金一億円を直ちに県庁信用組合に預託することが困難な状況にあつたゝめ、やむなくその施行を見合わせていたが、同年十二月五日頃に至りようやく歳計現金の操作可能との見通しを得たので、同日前記原田一人に対しその施行手続をとるよう命じ、同人をして池田組合長に宛て、「歳計現金一億円を昭和三十年十二月五日から三ヵ月間利率年四分一厘の三ヵ月定期預金として預託する。本預託金は住宅協会への融資資金として預託するもので他目的の使用は認めないので了承願いたい」旨文書を以て通知せしめた。しこうして被告人山本は、右同日池田組合長より右歳計現金預託施行の通知があつた旨連絡を受けるや、右預託にかゝる一億円を直ちに第一相互に送金するよう指示するとともに、「一億円を一度に送金してもよいが大事をとつて三千万円、三千万円、四千万円と三回に分けて送金したい」旨の同人の提案を了承し、かくて被告人山本の旨をうけた右池田及び更に同人の指示をうけた情を知らない同組合参事国崎蔵次郎をして、さきに池田が前記根橋と打ち合わせて来たところに従い、右同日、福岡県金庫事務取扱銀行たる福岡銀行本店より額面金一億円の小切手一通を受領させて、いつたんこれを三菱信託銀行福岡支店の県庁信用組合普通預金口座に振入れさせたうえ、同日以降同月十二日頃までの間前後三回にわたり、合計金一億円を第一相互に宛てその取引銀行たる富士銀行九段支店に電信送金せしめ、よつて右各送金の都度同月七日頃に三千万円、同月十二日頃に三千万円及び同月十三日頃に四千万円、いずれも前記福岡県歳計現金の預託引当分合計一億円を、第一相互に対し県庁信用組合組合長池田豊名義を使用し、据置期間一ヵ年、利率日歩一銭一厘二毛の約定で通知預金として預入させ、以て同県に対し右同額の財産上の損害を与えたものである。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

被告人ら両名の弁護人は

(一)  第一相互に対する本件一億円の預金は、被告人山本の依頼に応じた県庁信用組合組合長池田豊が、同人の責任と判断においてこれをなしたに過ぎず、

(二)  また被告人山本において、事前に被告人岩佐に対し、政治資金入手のため歳計現金一億円を住宅協会に対する融資名義を以て県庁信用組合に預託したうえ、これを同組合より第一相互に預金せしめる旨打ち明けて共謀した事実はなく、被告人岩佐が本件一億円を県庁信用組合に預託したのは、真実同組合が住宅協会に事業資金として融資するものと信じたが故であり、

(三)  更にまた、歳計現金と雖も一旦県の手を離脱して県庁信用組合に預託された以上、もはやその歳計現金としての公金性を喪失し、爾後の処分は全く右組合の自由な裁量に委ねられるものと解すべきであるから、第一相互に預金せられた本件一億円を以てなお歳計現金なりと言うのは不当である。

と主張するので、以下順次右の各論点について考察する。

(一)について、

なる程、被告人山本及び池田豊は、当公判廷において弁護人らの前記主張に副うような趣旨の供述をしており(被告人山本の第三十回、第三十一回公判期日の当公判廷における各供述――記録第一四冊、証人池田の第十七回乃至第十九回公判期日の当公判廷における各供述――記録第八冊)、また右池田が県庁信用組合長として、第一相互に対する本件一億円の預金実現に先立ち、昭和三十年十一月中旬頃自ら第一相互に赴いて、前記根橋常務と利子の調整及び送金方法等につき種々直接折衝をしていること及び右一億円の預金が同組合長名義を以てなされていることは、いずれも前認定のとおりであるが、前掲各関係証拠を綜合して認定することの出来る以下の諸事実、即ち、

〈1〉  県庁信用組合は福岡県一円を組合の地区とし、同県庁職員を主たる組合員として預金の受入れ及び資金の貸付を行う等その福利厚生を図ることを目的としているものであつて、従前同組合がわざわざ県外の銀行にその資金を預入したような事例はかつて一回もなかつたし、またそのようなことをする資金的な余裕も、その必要もなかつたこと、現に昭和三十年十一月における貯金残高は一億六百二十七万八千九百十二円、同じく貸付金残高は二千四百四十八万八千九百二十五円、また同年十二月における貯金残高は一億一千八百九十六万一千五百二十一円、同じく貸付金残高は五千三百一万二千九百七十四円に過ぎないという実状であつたこと

〈2〉  池田組合長は、従来第一相互の経営内容や信用状況等について何らの知識をも持ち合わせていなかつたのにもかゝわらず、本件一億円を預金する際には、ただ事前に根橋から業績表を示されて一応の説明をうけたほかは、たまたま同銀行が社屋を新築中であることを目撃し、また右根橋が大蔵省出身であることを聞知したに止まり、一応その信用程度を推測したに過ぎず、その貸付先や取引銀行、あるいは監督官公庁等について詳細正確に信用状況を確めて納得を得る等、一億円もの多額の預金をするについて通常必要と思われるような自主的、積極的な信用調査はなにひとつとしてこれを行つている形跡が窺われないこと(同人と根橋との会談は、そのような信用調査のためというよりもむしろ前記のような利率差損の調整を主たる目的として行われたものと推認されること)

〈3〉  住宅協会に対する融資のため歳計現金を県庁信用組合に預託するのは、法規上県が住宅協会へ直接貸しつけることができないためであり、かつ同組合と県との緊密な関係から考えて、県の定めた預託条件を同組合が一方的に無視するようなことは通常あり得ない筈であると思われるのに、本件にあつては前記のような「住宅協会への融資資金として預託するもので他目的の流用を認めない」との預託通知書記載の条件を全く無視し、当の預託責任者たる出納長の諒解も得ないで、さつそく一億円を第一相互に預金しているし、それにまた、従前の例に反して、同組合から住宅協会に対し右預託がなされたことについて何らの通知連絡さえもされていなかつたこと

〈4〉  第一相互に対する本件一億円預金の件については、右池田において組合参事国崎蔵次郎をこれに関与させていただけで組合理事会の決議を経ておらず、また預金後直ちに前掲県庁信用組合の預金台帳にその旨記帳することなく、約半年を経過後の昭和三十一年四、五月頃に至つてようやく右国崎をしてしかも殊更他の部分とは切り離して台帳末尾にこれを記帳せしめ、更にまた、同組合が毎月作成している財産目録相当の「試算表」にも右一億円の預金を記載しないよう右国崎に指示する等、極力本件一億円預金の事実が人目に触れないよう内密のうちに事を進めていたふしぶしが窺われること

〈5〉  第一相互に対する本件一億円の預金が全額一時になされておらず、殊更三千万円、三千万円及び四千万円の三回に分割し、しかもわざわざ日を異にして行われていること

〈6〉  右池田は、かねてより土屋県政の支持者であるうえに、また被告人山本のひとかたならぬ骨折りによつて県庁信用組合に職を得るに至つたいきさつもあつて、同被告人に対しては深い恩義を感じ、これと昵懇な間柄にあつたものと認められること

等を、被告人山本(昭和三十二年二月十六日付――記録第九冊、同年四月十二日付――記録第一〇冊一四丁以下)及び池田(昭和三十二年四月三日付、同年同月四日付、同年同月十七日付)(以上記録第一一冊)の検察官に対する上記各供述調書の記載と併せ考えてみると、第一相互に対する本件一億円の預金は、右各供述調書の記載の如く、被告人山本が右池田に対し情を明かして説得のうえ、同人の協力を得てこれを行うに至つたものと認めるのを相当とする。

(二)について、

被告人山本及び被告人岩佐は、当公判廷において、いずれも極力第一相互に対する本件一億円の預金につき、事前に被告人山本より被告人岩佐に対し事情を打ち明けて説得した事実はない旨を述べている(被告人山本の第三十回公判期日の当公判廷における供述――記録第一四冊、被告人岩佐の第二十八回、第二十九回公判期日の当公判廷における証人としての各供述――被告人岩佐については当該公判期日の公判調書中の各供述記載――記録第一三冊)。しかしながら被告人山本が池田組合長に対し予めその計画を打ち明けて同人の協力を得るに至つたものと認められることは右に述べたとおりであり、また被告人山本が住宅協会の幹部たる前記村井進及び長沢誠とも連絡のうえで「協会事業費支払資金の調達援助について」と題する事業資金調達援助依頼書を作成提出せしめるに至つた経過であるということも前掲各関係証拠を綜合して認め得られる。

〈1〉  右事業資金調達援助依頼書において願い出されている援助依頼額は一億円という巨額なものであつて、それがたまたま本件第一相互に対する預金額として前から予定されていた金額と完全に一致しているのは単なる偶然とは考えられないばかりか本件の前後を通じて住宅協会が県から県庁信用組合に対する歳計現金預託の方法によつて融資援助を得た事例を検討してみると、それらはいずれも土地購入代金の支払いのために必要な資金ということで融資を受けていたのであり、しかもその一回の金額も昭和三十年内において最高三千万円程度、昭和三十一年内において最高二千万円程度に止まつているのにかかわらず、本件の場合は住宅建設のための運転資金という名目で、一億円もの多額の援助を求めているというそれ自体きわめて異例なものであるうえに、当時また、それほど異例な融資援助の申出でをしなければならないような実質的な必要があつたものとは、とうてい認められないこと

〈2〉  従来住宅協会が県に対し県庁信用組合への歳計現金預託の方法による資金調達援助を願い出た際には、資金入手を急ぐ関係もあつて同協会から出納長室に対し直接問い合わせをしてくるのが普通の事例であるし、またそのような場合には県庁信用組合としても、県から歳計現金の預託を受けるやいなや利子負担の関係もあるので必ず直ちにその旨を住宅協会側に通知して借出し手続を督促するのが通例の状態であつたにもかかわらず、本件にあつては右の如く住宅建設のための事業資金一億円の援助依頼という異例の願い出であるのに、住宅協会から出納長室に対する預託の問い合わせや、県庁信用組合から住宅協会に対する預託通知のなされた形跡は全く存在していないこと

〈3〉  前記村井進、長沢誠及び前記住宅協会の主事で当時長沢とともに本件一億円の事業資金調達援助依頼書の起案に当つたという梶原昌は、いずれも検察官に対する前掲各供述調書中において、右事業資金調達援助依頼をなすに至つた所以は、昭和三十年度当初予算において認められた住宅協会に対する県補助金六千六百万円の配当を促進するとともに、さきに同年五月頃同協会が県より貸付を得た短期貸付金八千万円の引揚を阻止し、あわせて右当初予算で認められなかつた同協会の同年度建築計画に対する追加予算獲得のための布石ともしようという、いわばゼスチヤーとも称すべき政策的意図に出たものであつて、同協会としてはその実現の可能性についていささかの期待をも寄せていなかつたし、その後の成行についても何の関心もなく、その後ようやく昭和三十一年春頃になつて、初めて県庁信用組合に対する本件一億円の歳計現金預託がなされていることを承知して意外に思つた旨を述べているが(村井進及び長沢誠の前掲各公判調書中の証人としての供述記載も概ね以上と同趣旨である)、このように当該係員として当初から全然実現の可能性もないことを知りながら、年末資金需要の繁忙なときにあたつて、それまでに前例もないような一億円という巨額の援助依頼書を提出し、しかもそのままその依頼書の成行きいかんについていささかの関心も払わず、これを放置して顧みなかつたというような不自然きわまる供述は、とうていこれを納得することができないこと

等の諸点を先に掲げた被告人山本の検察官に対する各供述調書の記載と、あわせ考えることによつて明らかにこれを肯認することができるのであるから、これらの事実を更に前掲各関係証拠によつて認め得られる。

〈1〉  前記総務部長、建築部長連名の出納長宛「歳計現金の預託について」(三〇住第四七〇号)と題する依頼書によれば本件歳計現金一億円を県庁信用組合に預託することを求める理由としては、同組合より住宅協会に対し、右一億円を住宅建設の運転資金として融資せしめるにあるということが単に抽象的に書かれてあるにすぎないにもかかわらず、これに対し出納長たる被告人岩佐において依頼名義人たる総務部長なり建築部長なりに何らの問合わせをした形跡もなく、たやすくその依頼に応じて預託の措置をとつていることは従前福岡県から県庁信用組合に歳計現金を預託することによつて住宅協会に融資させた事例は、既に述べたとおり、いずれも土地購入代金の支払いのためであるうえに、その金額も一回当りせいぜい二、三千万円程度を出ておらず、従つて本件一億円の預託は、その金額の点からいつても、またその融資の目的の点から見てもきわめて異例なものといわなければならないことに鑑み、通常の事務処理の仕方としては、とうてい理解しがたいものであること

〈2〉  歳計現金の預託を決裁した場合は、通常決裁即日又はその翌日にこれを施行することが例とされているのにかかわらず、本件一億円の歳計現金の預託については、昭和三十年十一月十六日に決裁を了していながら、その施行が著しくおくれ、同年十二月五日に至つてようやく被告人岩佐自ら係員の原田一人に対してその施行を命じていること、しこうして昭和三三年証第八六〇号の二の「歳計現金の預金の預託について伺」(三〇出第一八〇五号)と題する禀議書を仔細に点検すると、第一枚目表右肩書部分の「昭和30年12月5日施行」なる記載中、12の数字は11を改ざんしたものまた5の数字は16を削除して新たに挿入したものであることが明白に看取せられ、(起案者たる原田一人もその証言中において右事実を認めている――第十回公判期日の公判調書中の供述記載、記録第四冊)、更に同本文中の第二枚目表第一行目の「一、預託期間昭和三十年十二月五日から三ヵ月間」とある記載及び第一案中の第二枚目裏七行目及び第二案中の第三枚目裏三行目の各「一、期間昭和三十年十二月五日から三ヵ月間」とある記載のうち、いずれも十二の十と二とが不自然に接着しており、また月と日との間隔が不釣合いに広過ぎるので、この点を前記第一枚目表右肩書部分の「12月5日」が明らかに改ざん挿入されたものと認められることと考えあわせてみると、右十二の二は一を改ざんしたもの、また五は後日に至つて書き加えられたものと推察せざるを得ず、従つて右各記載があることによつて、当初より十二月五日の施行が予定されていたものとは言い得ないこと。

〈3〉  被告人山本は、前記長沢の説得に当つた際、同人に対し出納長には自分の方で諒解をつける旨申し向け、また前記池田の説得に当つた際には、同人より、出納長たる被告人岩佐の事前の了解を得ておいて欲しい旨要望されていたこと

〈4〉  被告人山本は、第一相互に対する本件一億円の預金の引揚げができない間は県庁信用組合に預託した同額の県歳計現金の返還を受けることも望み得ないことを承知しており、しかも右歳計現金の預託に関する固有の職務権限は出納長たる被告人岩佐においてこれを有しているものであることを十分認識しながら、第一相互に対し自己名義を以て、本件合計一億円の各通知預金につき、いずれもこれを一年間据置く旨の念書(昭和三三年証第八六〇号の一四乃至一六)(県庁信用組合に対する本件歳計現金一億円の預託が、期間三ヵ月の通知預金であることは、被告人山本においてももとよりよくこれを承知していた)を差し入れていること

〈5〉  被告人岩佐は証人として当公判廷において、第一相互に対する本件一億円預金の事実をはじめて知つたのは昭和三十一年四月頃のことであると述べているが(第二十八回公判期日の当公判廷における証人としての供述――記録第一三冊)(但し、被告人岩佐については右公判期日の公判調書中の供述記載)、もしそうだとするならば、同被告人の実直かつ几帳面な性格から見て、何よりもまず当の責任者たる池田組合長を呼びつけ事の真相を糺明するのが当然であると考えられるにもかかわらず、別段そのような処置に出た形跡も見られないばかりか、かえつて池田組合長の要請に応じ、新たに県庁信用組合の運営資金名義を以て、歳計現金一億円を同組合に預託したうえ、右一億円を以て先に預託した本件の歳計現金一億円を同組合から引揚げたとの体裁を整えるような切替えの操作を弄する等、潔白な出納長には似合わしからぬ裏面工作に協力していること

〈6〉  のみならず、そもそも、また被告人山本としても、上来認定のような事の経過から見て、出納長たる被告人岩佐の事前了解を得ることなしに、無事に事を成しとげ得るものと考えていたとは、とうてい思われないこと

〈7〉  被告人岩佐は昭和二十三年頃から被告人山本と親交を結び、相共に保守勢力による福岡県政の安定を志して来た間柄であり、殊に同被告人が土屋副知事の罷免に引続きその職を辞するや、被告人岩佐においては、屡々右土屋及び被告人山本を訪れ県政の実情を報告する等かわらざる誠意を尽し、昭和三十年四月の福岡県知事選挙に際しても、右土屋のため応援に尽瘁したなどの経緯もあり、被告人岩佐の出納長就任も、同被告人の右の如き友誼に応えた右土屋及び被告人山本の配慮に負うところが大きかつたもので、被告人岩佐においても、かねがねこれを徳とし、日頃土屋県政の円滑な運営を念願するとともに、また何らかの政治工作を必要とする不安定な県政の実情についても十分な認識を有していたものであること

等の諸事実に合わせて考えてみると、被告人山本(昭和三十二年二月十六日付――記録第九冊、同年四月十二日付――記録第一〇冊一四丁以下)、同岩佐(昭和三十二年四月十二日付、同年同月十四日付)、(以上記録第一二冊)の検察官に対する各供述調書記載のとおり、第一相互に対する本件一億円の預金につき、右被告人両名の間に判示のような事前の連絡共謀の関係が存在したものと解せざるを得ない。

(三)について

判示認定の事実によれば、県庁信用組合が県から預託を受けた歳計現金自体が、そのまま同組合から第一相互に預金されたものでないことは明らかであるから、この意味において同組合が預託を受けた歳計現金一億円と、第一相互に預金された金一億円とが、物理的に同一のものと認め得ないことは、まことに弁護人所論のとおりであるが、他方被告人山本の「私は十一月初め頃、出納長室に行き岩佐君に会い、この計画を打ち明けております。岩佐君には『住宅協会から、その事業資金貸付のため一億円の預託申請書が出ているので、これをまわすが、実は協会にこれだけの金額は必要ではない。それでこの金を当分の間と言つてもまず一年間位東京の第一相互銀行に信用組合から預金させる考えだ。これは無理な話と思われるだろうが、第一相互に当分の間預金することにすると、先方からこれに関連してその一割程度の一千万円程度の政治資金が出してもらえるということに話がついているから頼むのだ』と一切をぶちまけて頼みましたら、岩佐君はそろそろ年末に近くなり、県の歳出額も多くなることが予想される時なので、一億円を預託することは歳出に影響するとも考え、又一年間据置きということも、歳計金の性質上前例のないことだと考え、或はまた政治資金ほしさに全く関係のない東京の一相互銀行に預金することは、県政界で問題にされる恐れ充分のことだとあれこれ考えたのか、口では強いて反対しませんでしたが、首をかしげておりましたので、私はただ頼む、書類はのちほど出すからと頼みこんでおきました」(昭和三十二年四月十二日付)(記録第一〇冊一四丁以下)なる旨、また被告人岩佐の「山本さんは『実は政治資金が欲しいのだが、東京の銀行に一億円ぐらい預金すると、正規の利息のほかに一割程度の金を出してくれるそうだ。県庁信用組合の金を東京の銀行にまわしてもらうから、信用組合に歳計現金一億円を当分の間預託してくれ』と申されました。――中略――歳計現金を信用組合に預託し、それを東京の銀行に預金させる形をとるにしても、それは人目をさけるために信用組合を利用するに過ぎず、実際は山本さんが千万円程度の金を預金の礼として出してもらうために、歳計現金を一億円東京の銀行に預金すると同じでありますから、万一東京の銀行が支払わない場合は県が損害をかぶらねばならないことが考えられますし、他方年末多額の支払いや、地場銀行に対する慣例的な年末の中小企業者融資目的の約一億五千万円の預託のことを考えると、この一億円を出して金庫銀行外に釘付することは支払事務の遂行に支障を来たし、ひいては県の資金調整計画にも悪影響を来たす危険が考えられるので困つた申し出だと思つたのであります」「その後同年十一月上旬頃だつたと思いますが、山本さんが出納長室に来て、やはり応接椅子の所で私に『例の話は一応住宅協会の事業資金ということにして信用組合に預託してくれないか、書面は後で出させるから』と申されました。同人は非常に口数の少い方で、こまごまと詳しい話はされませんでしたが、前からの話のいきさつと、この時の話の仕方から、同人がこれまで私に頼んでおられたような、単に信用組合に対する運営資金という名目で、歳計現金の預託をすることは疑惑を招き、ひいては政治資金作りの目的で歳計現金を東京の銀行に持つて行つて預けたことがばれる危険があるので、一般的に資金が必要であると考えられる住宅協会の事業資金として融資するという名目で、一旦信用組合に入れ、それを東京の銀行に持つて行つて信用組合名義で預金させようと計画されたのだと察しました(以上昭和三十二年四月十二日付)(記録第一二冊)なる旨の検察官に対する供述調書の各記載を綜合すれば、被告人山本、同岩佐の両名は、いずれも、本件第一相互に対する一億円の預金は、県歳計現金一億円を、県庁信用組合に預託することによりはじめて可能となるのであり、第一相互からの右預金一億円の回収がなされない限り、県庁信用組合の自力を以てしては、とうてい県から預託を受けた歳計現金一億円の返還もなし得ないことを認識していたことを推認するに十分であるし、また池田豊の検察官に対する昭和三十二年四月三日付、同年同月十七日付各供述調書(記録第一一冊)及び同人作成にかかる「貯金及び貸付残高調」と題する書面(記録第一二冊)を綜合すれば、本件当時、客観的にも、県庁信用組合としては、県から歳計現金一億円の預託を受けることとはかかわりなしに手持ちの資金中から一億円を第一相互に預金し得るような余力がなかつたこと、従つて、またいつたん第一相互に一億円の預金をした以上、その回収がつかない限りは県から預託を受けた歳計現金の返還も不可能となるほかないような状況であつたことが認められるのであるから、この意味において県から県庁信用組合に預託した歳計現金一億円と、県庁信用組合組合長池田豊名義を以て第一相互に預金された一億円とは、決して別個独立のものではなくして互いに因となり果となる関係をもつて結び付けられているものと断じてさしつかえないというべきである。

よつて弁護人の前記各主張は、いずれもこれを採用することができない。

(法律の適用)

被告人山本、同岩佐両名の判示各所為は、いずれも刑法第二百四十七条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条第一項、第三条第一項第一号(被告人山本については、なお刑法第六十五条第一項)に該当するので、その各犯情について考えてみると、本件は、一億円の巨額にのぼる福岡県の歳計現金を被告人山本の政治工作資金獲得の具に供せんがため同県における県金庫事務取扱銀行以外の者に対する歳計現金預託の制度を巧みに利用し、きわめて計画的に遂行された事案であつて、その結果においても同県の財政上に多大の危害を生じたことはもちろん、これに関連して同県民の県政に対する疑惑不信の念を招来し、長期間にわたつて県政を混乱に陥れるに至つたことは、まことに遺憾に堪えないところであつて、殊に被告人山本については、同被告人が総務部長という県政上枢要の地位にあり、予算執行の主管部長として重要な職責を有していたにもかかわらず、いかに県政運営の難局に直面して苦慮した末とはいえ、買収費と疑われてもやむを得ないような政治工作資金を獲得するため、判示のような手段方法を自ら企画発案したうえ、土屋県政下における総務部長として有していた政治的実力乃至発言権を駆使し、住宅協会幹部に示唆を与えて不要不急の融資援助を願い出させたり、また躊躇逡巡する被告人岩佐や池田組合長らを強引に説得するなどの術策を弄し、しかも第一相互の根橋常務との重要な折衝にも自らこれに当り、更に三回にわたつて分割預金された一億円中の第二回目の三千万円及び第三回目の四千万円の各預金手続の際には自ら直接これに関与する等、本件企画の実施遂行について終始中心的、積極的な役割を演じたそのあげく、目指す預金の実現と引換えに第一相互側から一千万円の謝礼を収受し、そのうち約五百万円余を県議会議員に対する政治工作資金等として費消し、県政の明朗化を阻害していること、その後県庁信用組合に対する本件歳計現金一億円の預託期間三ヵ月が経過するや、被告人岩佐及び池田組合長らと相はかり、改めて同組合に対しその運営資金名義を以て合計一億円の公金を預託し、これによりさきの預託を引き揚げ得たかの如き体裁を整えて犯行の糊塗隠蔽に努める等、犯情まことによろしからざる点が多く、また被告人岩佐についても、同被告人が出納長として県政の枢要な地位にあり、歳計現金の保管運用について、地方自治法上固有独自の重要な職務権限を有し、その直接の責任者たる立場にあつたにもかかわらず、不正の目的を明確に認識しながら、被告人山本の懇請に屈し、自己の職責に違背して県庁信用組合に対する本件歳計現金の預託を敢行したのみならず、事後においても県庁信用組合に対する歳計現金預託の切替をすることにより被告人山本に協力して本件犯行の糊塗隠蔽に努めている等幾多の不利益な情状が認められ、従つて被告人ら両名の責任がきびしく追及されなければならないことはいうまでもないが、他面、被告人山本については、同被告人が従来多年にわたり公務員として誠実に勤務を続け、福岡県政のためにも何かと尽瘁し、累進して副知事にまで就任するに至つていること、政治資金獲得なる本件の主たる動機は、当時の福岡県の特殊な政治情勢に基き、同被告人において是なりと信じる保守勢力による福岡県政の安定を所期する政治的信条に由来するものであることが認められるし、現に収受した一千万円の謝礼は、その大半を政治工作に費消し一部を向井に提供しているほか、自己の私的用途に充当した形跡は窺われないこと、本件の捜査開始後とは言え、未回収の預金八千万円を第一相互から引き揚げるにつき種々奔走し、県に与える財産的損害の軽減に努めていること、本件起訴により副知事の職を退いて謹慎の生活を続け惜しむべき有為の前途を失つてしまつたこと等、斟酌すべき事情も多々存在するし、また被告人岩佐については同被告人が本件歳計現金預託の依頼に応ずるに至つたのは、自己を出納長の地位にまで取り立ててくれた恩義もあり、かつ土屋県政下において知事に次ぐ政治的実力者として総務部長の地位にあつた被告人山本の執拗にしてかつ強引な説得に屈した結果であつて、しかもその後といえども向井とはもちろん、住宅協会、県庁信用組合及び第一相互の関係者らとも自ら直接折衝に当つたことは一回もなく、実質的には全く被告人山本に追随して、その発案にかかる企図の遂行に対し側面的に協力したにすぎない実情であること、同被告人が被告人山本の説得によつて本件を敢行するに至つた動機は、自己の政治的信条でもある保守勢力による福岡県政の安定化に資すべき政治資金を被告人山本に獲得せしめんがためであつて、事実自らは本件によつて何らの私的利得をも得ていないこと、同被告人は多年にわたり福岡県の地方公務員として精励格勤を続けて、県政発展のために貢献し、累進して出納長の地位に就くに至つたものであるが、本件起訴後その職を退いて謹慎の意を表し、多年の努力により築き得た社会的地位を一朝にして失つてしまつたこと等酌量すべき有利な事情もすくなからず認められるので、以上の事実をかれこれ考慮し、なおこれに合わせて被告人らの年令、家庭の状況その他諸般の情状を勘案のうえ、右被告人ら両名に対しいずれも所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内において、被告人山本を懲役一年六月に、被告人岩佐を懲役一年に各処し、前示犯情に鑑み被告人岩佐については、その刑の執行を猶予するのを相当と認め、刑法第二十五条第一項に則り本裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文(連帯負担の点については、なお同法第百八十二条)を適用して、主文第三項掲記のとおりその負担を定める。(なお、被告人山本が本件一億円の預金実現に対する謝礼として、第一相互の根橋常務からもらい受けたものと認められる((この点については、後記無罪の部分を説明する際にくわしく述べる))金一千万円が、刑法第十九条第一項第三号にいわゆる「犯罪行為の報酬として得たる物」に該当するとすれば、被告人山本において右一千万円中、六百五十万円は福岡市に送金し、池田組合長名義をもつて福岡相互銀行に定期及び通知預金として預入し、また、三百万円は自己名義を以て第一相互に定期預金とし預入し、更に三十万円は現金のまま政治工作資金に費消し、なお残金の二十万円はこれを向井に対し小遣銭として贈与し、結局右一千万円の全部が被告人山本についてこれを没収できない状況にあるので、同法第十九条の二によるその価額の追徴の当否が一応問題となるわけであるが、右一千万円中被告人山本において現金のまま費消した五十万円の使用状況は右に述べたとおりであり、また福岡相互銀行に預入した六百五十万円のうち約五百万円は、同被告人において、県政安定のための政治工作資金として費消し、更に第一相互に定期預金として預入した三百万円は、その後同被告人承諾のもとに向井定利において全額を引き出し同人の用に供しているのであつて、右一千万円の大部分が何ら被告人山本の個人的用途には当てられていないことを考えてみると、本件に対する刑事責任はもつぱら、同被告人をして、懲役の実刑に服せしめることによつてこれを果させることが適当と認められるので、被告人山本に対しても価額追徴の処分はこれを科さないこととする)。

(無罪の判断)

本件公訴事実中、被告人山本に対する収賄、被告人向井に対する収賄幇助の各事実の要旨は

第一、被告人山本兼弘は、昭和三十年六月より昭和三十一年六月まで福岡県総務部長として、歳入歳出予算その他同県の財務事務一切を分掌し、歳計現金の預金には出納長室より合議を受けていたものであるが、昭和三十年七月頃以来屡々株式会社第一相互銀行常務取締役根橋武男より被告人向井を介して、同県歳計現金一億円を期間一年の据置で第一相互銀行に預金されたい旨請託を受けるや、これを容認し、同県出納長岩佐秀盛とその意を通じ、同年十二月七日頃三千万円、同月十二日頃三千万円及び同月十三日頃四千万円、いずれも同県歳計現金合計一億円を、東京都千代田区神田神保町二丁目二十一番地株式会社第一相互銀行に福岡県庁信用組合組合長池田豊名義を使用し据置期間一年、利子日歩一銭一厘二毛の約定で通知預金として預入したのであるが、右預金に際し職務上種々尽力した謝礼として供与されることの情を知りながら、同年十二月十二日頃右第一相互銀行において、右根橋より金千万円を収受し、以て前記職務に関して収賄し

第二、被告人向井定利は、右根橋が右第一記載の趣旨の下に供与することの情を知りながら、被告人山本が右第一記載の如く同被告人の職務に関し金千万円を収受するに際し、右謝礼金額の取決め、授受等につき同被告人のためこれを斡旋し、以て同被告人の収賄行為を容易ならしめて幇助し

たものであるというのである。

よつて右各公訴事実の当否を判断するがこの点についてまず、被告人山本が、昭和三十年七月頃以来しばしば第一相互常務取締役たる右根橋より直接に、又は被告人向井を介して間接に、現金一億円を期間一年の据置で第一相互に預金するよう取り計らわれたい旨の懇請を受けた結果、村井進、長沢誠ら福岡県住宅協会幹部に働きかけ、また同県出納長岩佐秀盛及び福岡県庁信用組合組合長池田豊に情を明かしてその賛同協力を得、同県歳計現金一億円を住宅協会事業資金融資に名をかりて県庁信用組合に預託したうえ、これを第一相互に対し、同年十二月七日頃三千万円、同月十二日頃三千万円及び同月十三日頃四千万円の三回にわたり、いずれも右県庁信用組合組合長池田豊名義を使用し、据置期間一年、利子日歩一銭一厘二毛の約定で通知預金として預入したその間の経緯は、既に前示背任に関する罪となるべき事実の項において詳細認定したとおりであるから、これらの事実を前提として、

(一)  前記根橋において当時右預入にかゝる現金一億円が、被告人山本らのはからいにより福岡県の公金一億円を同県庁信用組合に預託することによつて第一相互に預け替えされたものであるということの認識を有していたかどうか

(二)  被告人山本が、根橋より右預金の謝礼として現金一千万円をもらい受けた事実があるかどうか

(三)  第一相互に対する右現金一億円の預金実現について被告人山本のした尽力は、同被告人の職務上の行為といえるかどうか

(四)  以上の点が、すべて肯定されるとすれば、最後に、根橋において、右預金の実現と被告人山本の職務行為との関連についていかなる認識を有していたか

等の諸点について、順次審究することゝする。

(一)の点について

前示背任に関する罪となるべき事実の項において既に認定したところではあるが、被告人山本(昭和三十二年四月十一日付――記録第九冊、同年同月十二日付――記録第一〇冊一四丁以下)、同向井(昭和三十二年四月十二日付)(記録第九冊)、池田豊(昭和三十二年四月三日付)(記録第一一冊)の検察官に対する各供述調書を綜合すれば、昭和三十年八月頃、被告人向井は、福岡市において被告人山本から、「県庁信用組合にやる金が一、二億円あるが、わざわざ東京の銀行に預金する理由がない」などという言葉を聞いて、帰京後直ちにそのことを根橋に報告しており、次いで同年九月中旬頃前記「ゆう月」における最初の会合の席上、被告人山本より「県庁信用組合にやる県の公金が一億円位あるが、これを第一相互に送るには何らかの大義名分が立たなければ困難である」旨を述べたのに対し、根橋が「県の公金を第一相互に直接預託してもらうのが一番手取り早いのではないか」と答えてこれに応じているし、また同年十月初頃第二回目の「ゆう月」の会合において、被告人山本が根橋及び被告人向井に対し、自己の思いつきとして、「福岡県住宅協会の事業資金に貸付けるということで、県の歳計現金一億円程度を県庁信用組合に預託し、これを住宅協会に廻さず第一相互に持つてくることも考えられる」との言葉を洩しており、更に同年十一月中旬頃第一相互において、当時上京中の前記池田組合長が根橋に対し「預金を予定している金一億円は県より歳計現金一億円を県庁信用組合に預託したうえ、これを第一相互に廻すものである」旨を告げ、なお、同年十二月十二日にも同じく第一相互において謝礼金授受に先立ち、被告人山本より根橋に対し、今次、預金する現金一億円のことについて、「県が県庁信用組合に対し住宅協会の事業資金貸付の名目を以て預託したものである」旨を打ち明けて説明している等の諸事実が認められるので、これらの点をかれこれ考え合わせてみると、当時根橋としては、本件一億円の預金は福岡県総務部長としての被告人山本の県及び県庁信用組合等の関係筋に対する諒解工作など種々の尽力によつて同県の公金一億円が何らかの名目で同県庁信用組合に預け入れられた結果、はじめて実現し得たものであるという程度のことはおおむねこれを推察していたものといわなければならない。

(二)の点について

まず、本件一億円の預金が実現したことに対する謝礼として、第一相互側から現金一千万円の支出がされているかどうかについて検討してみると、証人寺田重康(第三回公判期日)、同和田守雄(第四回公判期日)、同竹内清(同上)同渡部虎雄(第五回公判期日)、同細野猛(同上)、(以下記録第二冊)の当該公判期日の公判調書中の各供述記載、並びに前田彦、渡部虎雄(昭和三十二年一月十七日付)(以上記録第一〇冊)、根橋武男(昭和三十二年四月八日付)(記録第一一冊)の検察官に対する各供述調書を綜合すれば、昭和三十年十二月十二日頃、第一相互側では、本件一億円の預金に対する謝礼として一千万円を出すが、そのうち、さし当り現金七百万円を渡し、残り三百万円は、後日第一相互の定期預金にしてもらうとの方針のもとに根橋常務の指示に基き、貸付課長前田彦が現金七百万円の仮払伝票を起案し、堀口社長並びに右根橋及び渡部両常務の決裁を経て出納課長和田守雄から現金七百万円が支出され、次いで同年同月二十三日頃、同じく右根橋の指示により前田貸付課長が現金三百万円の仮払伝票を起案し、根橋、渡部両常務の決裁を経て該伝票に基き和田出納課長がいつたん現金三百万円を支出したうえ、直ちにこれを預金係に廻付し、預金係長竹内清においてこれを無記名定期預金とする手続を行つていることが認められるから、これによると、前記公訴事実のように昭和三十年十二月十二日頃に現金一千万円全額が一時に支出されたものではないにしても、ともかく本件一億円の預金に対する謝礼として、昭和三十年十二月十二日頃現金七百万円、同年同月二十三日頃現金三百万円合計金一千万円が、いずれも右根橋常務の計らいにより第一相互から支出されている事実が明らかであるといわなければならない。

そこで、次に右金一千万円の謝礼が被告人山本に対して供与されたものであるか、あるいは弁護人主張の如く、右金員は被告人向井のために支出されたものであるかどうかについて考えてみると、右に掲げた各証拠のほか、なお被告人山本の第三十回公判期日の当公判廷におけ供述(記録第一四冊)、証人向井定利の第二十八回公判期日の当公判廷における供述(記録第一三冊)(但し被告人向井については右公判期日の公判調書中の供述記載)及び被告人山本(昭和三十二年二月十六日付、同年四月十一日付――以上記録第九冊、同年同月十二日付――記録第一〇冊一四丁以下)、同向井(昭和三十二年四月五日付、同年同月十二日付、同年同月十七日付)(以上記録第九冊但し最後の分は同一日付の調書二通あるもののうち一七五丁以下に編綴の分で被告人向井に対する関係のみに限る)の検察官に対する各供述調書並びに昭和三十年十二月十二日付、山本兼弘より株式会社第一相互銀行社長堀口貫道宛「念書」と題する書面(昭和三三年証第八六〇号の一七)、昭和三十一年六月九日付、株式会社第一相互銀行より向井定利宛「証」と題する書面二通(前同証号の二二、二三)等によれば

〈1〉 被告人山本及び被告人向井の両名は、いずれも右検察官に対する各供述調書中において前記一千万円の現金が、被告人向井ではなくして被告人山本に対する謝礼金であることを自認していること。

〈2〉 前記七百万円及び三百万円の各現金支出の際に起案された第一相互の仮払伝票の摘要欄には、いずれも「福岡県庁」との記載があつて、これらの支出が、いずれも福岡県庁筋へのものとしてなされた経緯が窺えること。

〈3〉 前記三百万円の無記名定期預金証書の印鑑簿には、「山本」なる被告人山本自身のものと思われる印が押捺されており、また被告人山本から昭和三十年十二月十二日付を以て堀口社長宛に差し入れられている前記念書には「拙者名義の定期預金は三百万円を限度として向井定利依頼の貴行の割引手形に対して担保として提供する」旨の記載があること。

〈4〉 被告人向井に対しては、前記七百万円支出後間もない昭和三十年十二月十四日頃に別途第一相互側より本件一億円の預金実現に奔走寄与したことに対する謝礼として、現金百万円が渡されていること。

〈5〉 昭和三十年十二月十二日頃第一相互側よりの前記七百万円支出後間もなく、被告人山本において右七百万円を携え、そのうち六百五十万円について池田組合長に宛て送金手続をするため、被告人向井同道のうえ第一銀行飯田橋支店へ赴く途中の自動車内において、被告人山本より「正月も近いし幾らかいるだろうから」と申し向けつつ、当座の小遣銭として右七百万円中の二十万円を被告人向井に手渡していること。

等の諸事実が認められ、これらの事実を既に背任に関する罪となるべき事実として認定したところによつて明らかなとおり本件一億円の預金については被告人山本が終始中心的な役割を果してきているのに対し被告人向井は単に被告人山本と根橋との間をとりもち又は仲介しただけであつて、しかも第二回目の「ゆう月」における会合以後は、愈々預金が実現するに至るまで格別何ら積極的な活動をもしていなかつたという経緯や、他方また先に認定したように、右一億円の預金は、被告人山本の尽力によつて福岡県の公金一億円が何らかの名目で県庁信用組合に預け入れられた結果、はじめて実現し得たものであるとの事情を当時根橋においても十分察知していたものと認められる状況であつたこと等にあわせて考えてみると本件一千万円の礼金は当初より被告人山本に対するものとして根橋から供与されるとともに、同被告人においても、またこれを自己に対する謝礼分として受け取つたものと認定するのを相当とする。

(もつとも被告人山本及び被告人向井の両名は、いずれも当公判廷において前記一千万円の謝礼は、被告人向井のために支出されたもので、ただその後、同被告人において内金六百八十万円を被告人山本に貸与したにすぎない旨を述べているが、これについてはその裏付証拠となるような借用証などのないのはもちろん、利息、返済期等については一応の取決めをしたというわけでもないうえに、その後、この貸借なるものについては右両者間になんらの決済もなされておらず、そのまま放任されている等の情況から見て、右供述は、きわめて不自然であるといわざるを得ないし、また、被告人向井は、なお当公判廷において、自己が第一相互から交付を受けた前記金百万円は本件一億円の預金に対する謝礼ではなくして、今後の預金導入運動に要する費用の先渡しとして支給されたものであるとも述べているが、同被告人の供述によつても、右百万円が実際第一相互のための預金導入運動のための費用に使われた事実は認められないしそもそも、また同被告人の言うところによれば、別途第一相互から支出された前記金千万円は本件一億円の預金実現に対する謝礼として、ほかならぬ向井本人に対して支払われたものであるというのであるから、たとえ第一相互側において当時いかに向井自身の預金導入についての腕前を高く評価していたとはいえ、またよしんばその出金の目的そのものは前後同一でないとしても、預金導入に狂奔するほど資金の窮迫に苦しんでいた第一相互として、千万円という多額の謝礼金の支給のほかに、しかもそれと時を接してかさねて同一人に対し、格別具体的な目当もないのに、単に預金導入費の先渡しというような漠然たる名目で又もや百万円もの大金を支出したとはとうてい考えられないので、いずれにしてもこれら被告人らの供述は前掲各証拠と対比してこれを採用するわけにいかない。)

(三)の点について

被告人山本が当時福岡県総務部長として同県の歳入歳出予算、税その他の財務に関する事項を分掌していたことは、地方自治法第百五十八条、福岡県庁事務分掌条例第三条の各規定に徴して明らかである。

しこうして、被告人山本(昭和三十二年四月十七日付)(記録第一〇冊、但し同被告人に対する関係のみに限る)、岩佐秀盛(同年同月十四日付)(記録第一二冊)の検察官に対する各供述調書、証人岩佐秀盛(第二十八回、第二十九回各公判期日)(記録第一三冊)の当公判廷における供述、自治庁次長作成の「改正金庫制度の運用に関する件(昭和二十五年八月五日発連第四二七号都道府県知事宛地方自治庁次長通知)の謄本の送付について」と題する書面(自治庁次長認証にかかる「改正金庫制度の運用に関する件」と題する書面の謄本添付)(記録第一冊)を綜合すれば、福岡県においては株式会社福岡銀行と金庫契約を締結して同銀行を同県の金庫事務取扱銀行と定め歳計現金は原則として同銀行に預入し、五百万円までは当座預金、五百万円を超え二億円までは普通預金、二億円以上は一口一千万円の三ヵ月定期預金の方法によつて、これが保管を行うこととしているが、昭和二十五年政令第百十九号「地方自治法施行令の一部を改正する政令」に基く同施行令第百六十四条、第百六十六条の改正により特に必要ある場合には、例外的に右金庫事務取扱銀行以外の者に対しても、歳計現金の預金をすることができるとの取扱になつていることが認められる。そこで同県における歳計現金の金庫事務取扱銀行以外の者に対する預託の事務と被告人山本の右職務権限との関係について考察すると同被告人の第三十回公判期日の当公判廷における供述(記録第一四冊)証人岩佐秀盛(第二十八回公判期日)(記録第一三冊)、同岸昌(第三十四回公判期日)(記録第一五冊)の当該公判期日の当公判廷における各供述、証人原田一人(第十回公判期日)(記録第四冊)、同朝日邦夫(第十二回公判期日)(記録第六冊)、同深沢恭一(第十六回公判期日)(記録第八冊)の当該公判期日の公判調書中の各供述記載、被告人山本(昭和三十二年二月十六日付――記録第九冊、同年四月十二日付――記録第一〇冊一四丁以下、及び同年同月十七日付――記録第一〇冊但し、最後の分は被告人山本に対する関係のみに限る)、岩佐秀盛(昭和三十二年四月十二日付、同年同月十四日付)(以上記録第一二冊)、土屋香鹿(記録第一〇冊)、朝日邦夫(昭和三十二年三月十七日付、同年四月十五日付)(以上記録第一一冊)の検察官に対する各供述調書、自治庁次長作成の「改正金庫制度の運用に関する件(昭和二十五年八月五日発連第四二七号都道府県知事宛地方自治庁次長通知)の謄本の送付について」と題する書面(自治庁次長認証にかかる「改正金庫制度の運用に関する件」と題する書面の謄本添付)(記録第一冊)を綜合すれば、地方自治法上歳計現金の保官は、県の現金又は物品の出納その他の会計事務いつさいを統轄担当する出納長の固有独自の権限とされていることは、もとよりであるが、福岡県においては、昭和二十五年政令第百十九号「地方自治法施行令の一部を改正する政令」による金庫制度の改正に伴い発せられた。同年八月五日付の都道府県知事宛「改正金庫制度の運用に関する件」と題する地方自治庁次長通知の一の(2)に記載されている「金庫銀行以外の者に預金する場合においては、その特殊性にかんがみ、預金先の決定、預金の種類、期間及び額等については、必ず事前に知事の承認を得なければならない。但し、預金の取扱に関する直接の責任者は出納長であることはいうまでもない。」との趣旨を尊重遵守し、金庫事務取扱銀行以外の者に県の歳計現金を預金(預託ともいう)するについては、出納長より事前に知事の承認を求めることを行政慣例としていたが、歳計現金は、県の予算執行のための保有金たる性質を有し、従つて県の財務事務殊に予算執行事務と歳計現金の保管とは相互にきわめて密接なかかわり合いがあるので、右知事の承認を求めるにあたり、まずその前提として出納長より予算執行その他の財務事務いつさいを分掌担当する当該主管部長たる総務部長に対して合議を求め、これに対し総務部長は、その本来の職務たる財務事務担当の立場から該歳計現金の預金により県の予算執行上に支障を来す虞れがないかどうかについて判断を加え、該預金の適否等に関して出納長に意見を申し述べるとともに、もしその預金をすることによつて県の予算執行上に支障を来す虞れありと認めるときは、出納長に対してその中止、もしくは変更修正を申し入れることができるとの建前がとられており、しかも従来この合議の際における総務部長の意見に従つて、出納長が歳計現金の預託を取り止めた事例もあるくらいで、事実上右総務部長の意見が出納長によつて常に尊重されている実状にあつたことが認められるから、これによれば、福岡県においては総務部長が金庫事務取扱銀行以外の者に対する県歳計現金の預託に際し、出納長より合議をうけこれに対して意見を述べることがたとえ総務部長の固有の本来的事務とは言えないにせよ、これと密接な関連があるところから行政慣例上認められるに至つた職務行為であると、解するのが相当である。

もちろん、この場合においても、総務部長は、知事と異り、出納長に対する監督権の発動として(地方自治法第一四九条第四号参照)当該預託についての承認、不承認の措置を決定するわけではないのであるから、総務部長の右合議に関する職務行為を認めたからといつて出納事務に関する出納長の独立の権限を侵すことにはならないのである。

そこで、次には進んで第一相互に対する本件一億円の預金について果して総務部長としての被告人山本の職務行為が介入しているものと見られるかどうかを検討することになるが、この点について、右第一相互に預金せられた本件一億円は既に認定したとおり住宅協会に対する事業資金融資名義を以て福岡県庁信用組合に預託された歳計現金一億円が、直ちに右県庁信用組合組合長池田豊名義で第一相互に預入されたものであるところ、右に掲げた各証拠並びに「歳計現金の預託について伺」(三〇出第一八〇五号)と題する禀議書(昭和三三年証第八六〇号の二)を綜合すれば、昭和三十年十一月十六日頃、住宅協会の事業資金融資のため、歳計現金一億円を県庁信用組合に預託してよいかとの趣旨の右禀議書が出納長たる岩佐より総務部長たる被告人山本のもとに前述の如き合議のために回付され被告人山本において異議なくこれに同意する趣旨の押印をし、これに続いて更に土屋知事の承認印も押された結果岩佐において同年十二月五日県庁信用組合に対する右一億円の預託を施行し、次いでこれに基き右県庁信用組合組合長池田豊名義を以て第一相互に対し、本件一億円の預金がなされるに至つた経緯を認めることができるから、結局右一億円の預金がなされる過程において、前述のような意義内容を有する被告人山本の総務部長としての職務行為が介入し、その実現の一契機をなしているものといわなければならない。

(但し、この場合においても、出納長としての岩佐の職務権限が基本的なものであることはいうまでもないところであるから、先に認定した背任の罪となるべき事実の項において、もつぱら岩佐の出納長としての任務違背の点のみを問題としたに止まり、被告人山本のそれに触れなかつたからといつて、必ずしも前後矛盾した見解であるということにはならないものと考える。)

(四)の点について

第一相互に対する本件歳計現金一億円の預金実現の過程において被告人山本の総務部長としての職務行為が介入しているものと認められることは、右に述べたとおりである。そうだとすれば、本件一千万円の供与者である根橋において当時被告人山本の右職務関係について果してどの程度の認識を持つていたものと見られるか、以下この点について検討を加えることとする。なるほど、この点については、先にも認定したとおり、第一相互に対する本件一億円の預金が実現したのは、福岡県総務部長たる被告人山本が、中心となつて、県及び県庁信用組合等の関係筋と話合いをつけるなど種々尽力を重ねた結果、県の公金一億円が県庁信用組合に預託されたためであるという程度のことは、当時、根橋においてもおおむねこれを推察していたものと思われるのであるがそれだからといつて直ちに、根橋が右預金の実現と被告人山本の総務部長としての職務との関係についても、また、一応の認識を持つていたものと推論することは許されないであろう。なぜならば、第一相互に対する本件一億円の預金は、県の歳計現金の技術的操作というような比較的手のこんだ過程を経て、はじめて実現しているのであるし、それに、また、元来総務部長などという職名は、建築部長又は出納長などというのとはちがつて、それ自体何らかの具体的な職務内容を暗示しているものではないのであるから、かかる場合には相手方たる根橋において、被告人山本の総務部長としての職務内容について――殊に歳計現金の預託との関係において――どの程度の認識理解を有していたかということが慎重に検討されなければならないわけである。

〈1〉 そこで、まず、前認定の背任の罪となるべき事実の項において詳細判示した預金実現の経緯に徴しても明らかなとおり、根橋としては、一億円という多額の県の公金を名目を構えて福岡県庁信用組合に預託させることによつてこれを従来同県とはなんらの取引関係もない遠隔の東京都内にある一相互銀行に預金として引き入れようとすること自体、きわめて異例なかつ困難な事柄であることは十分これを承知していたものと思われるのであるが、現に根橋の検察官に対する供述調書中には「向井さんの話では、山本さんは県の総務部長であり、信用組合にも大きな力があると言つておりましたから、山本さんに頼みこんで是非福岡県信用組合の金を預金してもらうようにお願いした訳です。」

「とに角此の預金の初まりは、向井さんから、山本さんが非常に力があり、信用組合長を押える位実力者だと申しておりましたので、私はその人の念書を貰つておけばそれで間違いないものと思つておりました。何でも向井さんは、福岡県の土屋知事や山本副知事とはその頃から非常に懇意にしており、向井さんの奥さんが、知事副知事の夫人、子供さんとも交際する深い関係にあつたようでありました。私の聞いたところでは、二、三年前、福岡県知事が社会党の人で、その下に副知事が土屋さん、総務部長が山本さんであつたところ、この人達が保守党であつたために意見が合わず、二人とも辞めてしまい、その浪人時代に向井さんがこの二人の面倒を見ていて、それで今日も密接な関係にあると聞いておりました。そしてその後の知事選挙で土屋さんが知事になり、その関係で山本さんも総務部長に復活したと聞いております。そんな関係で山本さんは向井さんに義理がある訳ですが、そこで県の信用組合は福岡県庁から預託金を入れており、その他県の援助を受けておる関係から総務部長としての発言力も強く、その上池田組合長は、矢張り元県の役人で、山本さんの推薦で組合長になつたそうで、そんな事情から向井が山本さんに頼み、山本さんが組合長に一億円預金を出すようにと言えば、断り切れない事情にあり、山本さんが十分信用組合長を押えるだけの力がある人だと思つておりました。」(以上、昭和三十二年二月二十六日付供述調書)

「この話をすすめていく際に、問題の預金される金が県の金であるか、県の信用組合の金であるか、その点は正確にはわかりませんでしたが、そのどちらかであろうと思つておりました。

どちらにしても、山本総務部長外県庁の関係者や池田理事長外信用組合の関係者等に向井氏等が相互に相談の上で、第一相互銀行に一億の預金をしたものであることは、その頃私もわかつておりました。」(昭和三十二年四月十四日付供述調書)

「私としては、右の一千万円が、一億円の通知預金の正規の利子に加えて、預金者である県庁信用組合の口座に支払はれるものと考えていなかつたことは勿論です。誰が幾ら取るものか、さようなものは私にはわかりませんが、いずれにしろ向井さん始め、山本さん、池田さん等県庁や信用組合の関係者を一つのグループとして考えておりましたので、それらの関係者の手に渡るものという、それだけのことしか思つておりませんでした。

山本さんは県の総務部長であり、その他の県の関係者と共に、右の一億円を預金することにつき尽力し、池田さんは県庁信用組合の理事長として同様に右の預金につき尽力し、向井さんも、山本さん池田さんと話し合つて右の預金の実現に尽力したのでありますから、私の方ではこれらのグループの人達の手に渡るものと思つて一千万円を渡したのであります。この点さらに正確に申しますと、山本さんに渡つた金は、山本さんだけが取るものではなく、池田さん等その外この預金をするについて関係をした人達の手にも渡るのであろうと思つていたのであります。昨日も述べたように右の一億円の預金が県庁の金であるということもはつきりは知らなかつたのでありまして、この預金を受入れるまでの私の考えでは、県の住宅協会とか、共済組合とか、そのような県の外廓団体の金か県庁信用組合の金か、それらのいずれか、とにかく総務部長の山本さんが県庁の出納関係の役人と相談して動かすことのできる金であろうと考えておりました。」

「一億円の預金を受入れる当時の私の考えの点で、『その金は県の住宅協会の金とか、そのような外廓団体、県庁信用組合の金』と、金の性質について述べましたが只今述べた外『県庁の金であるかも知れない』ということも思つていたのでありますから、その点をつけ加えます」(以上昭和三十二年四月十五日付供述調書)(以上各供述調書とも記録第一一冊)

等の記載があつて、これらを前記認定にかかる本件預金実現に至るまでの経緯等に合わせ考えてみると、右預金の件について奔走していた当時、根橋としては何よりもまず土屋県政下における被告人山本の総務部長としての政治的実力を重視し、この政治力を駆使して福岡県庁内出納関係職員や県庁信用組合関係首脳部筋を動かし可及的速かに第一相互に対する右預金の吸収を実現して、同銀行の苦境打開に寄与するとともに、これによつて右銀行内における自己の立場が強化されるに至らんことのみをひたすら念願していたものであつて、被告人山本の総務部長としての職務内容についてはもちろん、本件預金の実現と右被告人の職務との関連性についても何らの認識をももつておらず、また、格別の関心をさえ払つていなかつたことが推認されるのみならず(根橋が、向井又は被告人山本自身から、右職務関係について、具体的な説明はもちろん、概活的な暗示をさえ受けたことを認めるに足る証拠はなく、また、関係証拠に徴しても、根橋において、右両名の説明を待つまでもなく、過去の経歴又は事態の推移によつて特に福岡県総務部長の職務内容を概略諒知していたものと推測し得る根拠もない。)右根橋から被告人山本に供与された前記現金、一千万円も、また、同被告人の職務関係などを眼中におかず、たゞひとえにその政治的実力乃至発言権を背景とする交渉、説得行為によつて本件一億円の待望の預金を実現に導いた奔走の労に酬いる趣旨のもとに支出されるに至つたものであることを窺い知ることができるのである。

〈2〉 現に先にも言及したとおり、第一相互に対する本件一億円の預金実現までの間に介在していると認められる福岡県総務部長としての被告人山本の職務行為は、同県出納長岩佐秀盛から県庁信用組合に対する歳計現金一億円の預託について同県行政上の慣例に従い合議を求められた際異議なく前記「歳計現金の預託について伺」(三〇出第一八〇五号)と題する禀議書に押印したとの一事に過ぎずしかもいわゆる歳計現金の預託について福岡県総務部長にこの種の職務権限があるというようなことは、幾多証拠調の迂余曲折を経て後、はじめてようやく判明するに至つたきわめて専門的な事がらであつて(因に他の県にも同様の行政慣例が行われていることを窺うに足る証拠はない)、地方行政の実情にうとい部外者には容易にその手続の輪廓をすら想像し得ないような性質のものと思われるから、この点から考えても当時、根橋において、被告人山本の職務行為と本件預金実現との関連性についての認識を欠いており、たゞ同被告人の総務部長としての政治力による成果のみを期待し、かつこれを重視していたとしても、すこしも不自然ではないといえるのである。

〈3〉 更にこの点に関する根橋の供述をいますこしくとりまとめて考えてみると、同人の検察官に対する供述調書は、昭和三十二年一月十七日付、同年二月十六日付、同年三月二十八日付、同年四月八日付、同年同月九日付、同年同月十四日付、同年同月十五日付及び同年同月十九日付の八通(以上いずれも記録第一一冊)が証拠として採用されており、そのうち三月二十八日付以降の六通は、いずれも根橋が贈賄被疑事件の被疑者として身柄拘束のうえ取調べをうけて作成されたものであることが明らかである。ところがこれら八通の供述調書の内容(但し、そのうちの主要な部分はすでに先にも摘記してある)を逐一精査検討してみても、本件当時根橋が被告人山本の職務権限をどの程度に考えていたのか、殊にいわゆる「県庁の金」を預託するかどうかをきめることのできる職務権限(事実上それを左右し得る政治的な発言力ではなく)をもつていると思つていたのかどうか、彼のいわゆる「県庁の出納関係の役人」と被告人山本との職務上の関係(殊に命令服従の関係)についてどのような認識を有していたのか等根橋について贈賄の意思の有無を判定するために欠くことのできない構成要件たる事項に関する具体的な(もとより詳細なことは必要でないが)供述を発見することもできないし、また、被告人山本なり被告人向井乃至池田組合長なりから被告人山本の総務部長としての職務内容について立入つた説明を受けた旨の供述も存在しない(なお、右山本、向井、池田らの供述または供述記載によつても、同人らが根橋に対して右のような説明を与えた形跡を看取することができない)。従つて、なるほど、根橋の検察官に対する昭和三十二年四月十五日付供述調書中には、前記のとおり「この預金を受入れるまでの私の考えでは、県の住宅協会とか、共済組合とか、そのような県の外廓団体の金か、県庁信用組合の金か、それらのいずれか、ともかく総務部長の山本さんが県庁の出納関係の役人と相談して動かすことのできる金であろうと考えておりました」との記載があるが、その「総務部長の山本さんが県庁の出納関係の役人と相談して動かすことのできる」ということが、被告人山本の総務部長としての職務上「動かすことのできる」という意味であるのか、あるいは、またそうではなくして、総務部長としての同被告人の政治的発言力によつてそうすることができるという趣旨であるのか全く不明であるのみならず、根橋の供述全体を通じてみれば、右の言葉はむしろ後者の意味に解せられる余地が多いものといわなければならない。

もちろん、当裁判所としても、かつて町村長が某銀行頭取らから公金預入方の請託を受け金員を収受したという事案について、町村長は、収入役が租税その他の公金を保管するため銀行を選択するに当り収入役を監督して適当な措置をとらせるべき職務があるという理由で収賄罪の成立を認めた大審院判例(大正三年六月一七日同院刑事第三部判決、大審院刑事判決録二〇輯一二四五頁)や、職務執行の目的である事項を特定して賄賂を交付することは贈賄罪の成立に必要でないとの大審院判例(昭和四年一一月八日同院刑事第四部判決、法律学説判例評論全集一九巻刑法七三頁)の存することは、十分これを考慮しており、また本件歳計現金の預託について総務部長としての被告人山本の職務行為とも見らるべきものが介在していることは、前認定のとおりであるが、他面、収賄罪といわゆる必要的共犯関係にある贈賄罪が成立するためには、贈賄者側において相手方の職務に関し賄賂を供与することの認識すなわちその職務行為に対する謝礼として金銭等を供与するとの意識を有することを必要とするものと解すべきところ、本件における被告人山本は、知事、副知事などと異り、総務部長として、現金または物品の出納その他の会計事務を掌る出納長に対して直接の監督権を有しているものとは認められないうえに、地方自治法の関係条文(たとえば、同法第一五八条)乃至福岡県庁事務分掌条例第三条等を通読でもしなければ、その総務部長としての職務内容の輪廓をさえ常識上なかなか具体的にはつかみにくい関係にあると思われるので、このような具体的事情を考慮してくると(なお、根橋が、被告人山本の職務内容などをほとんど眼中におかず、ひたすら総務部長としての政治的実力の点のみを心頼りにしていた形跡の窺えることも、また本件における特殊な事情として留意されなければならない)――さきの判例にあらわれた事案において贈賄者側が収賄者側の職務関係についてどの程度の認識を有していたのかは必ずしも明らかではないが――、すくなくとも本件において、右根橋と必要的共犯の関係にありとして公訴を提起されている被告人山本に対する収賄と被告人向井に対する収賄幇助との各公訴事実の成否を終局的に判定するためには、どうしても被告人山本の職務内容、殊にそれと県公金の預託事務との関係についての根橋の認識程度を更に一段と掘下げ検討するのが必要不可欠のことであると考えられるのにかかわらず、不幸にして根橋は、第一回公判期日の冒頭手続の段階においてきわめて概括的抽象的に同人に対する贈賄の公訴事実を否認する趣旨の陳述をしたに止まり、その後詳細な本人質問の段階に入るを待たずして、昭和三十四年一月十二日に病死したため、当公判廷において直接同人に対し所要の諸点について質問を試み、これによつて最後の心証をかため得べき機会は、遂に永久に失われるのやむなきに至つた次第である。

以上列挙した諸点を綜合して考えると、結局、根橋が本件一千万円の現金を謝礼として被告人山本に贈与する際、果して同被告人の職務に関しこれを供与することの認識を有していたかどうかの点についてこれを積極に認定すべき証拠が十分でないのみならず、むしろ右根橋としては、当初より被告人山本に対し直接その職務内容とはかかわり合いのない政治的配慮と奔走とを期待し、かつこれを信じていたのではないかとも思われるふしぶしが多く看取される以上、被告人山本との関係において根橋に贈賄罪の成立を肯認することはとうてい許されないものといわなければならない。

そうとすると、賄賂の交付と収受とは、賄賂の授受なる双方行為を組成する各一方の行為にほかならず、前記のとおり、両者は互に必要的共犯の関係に立ち、賄賂の収受は賄賂の交付があつてはじめて完成するものであるから、根橋について贈賄罪が成立しない以上、被告人山本についても収賄罪成立の余地はないものというべきであり、従つて被告人向井に対する収賄幇助罪も、また成立しないものといわなければならない(もつとも、被告人山本について賄賂収受罪の成立を認め得ないとしても、もし、同被告人において本件一億円の預金に対して一千万円の謝礼提供方を根橋に要求した事実があつたとすれば、被告人山本について別に賄賂要求罪の成立する余地もあるわけであるが、前掲各関係証拠によつても明らかなとおり、右金一千万円については、はじめ、昭和三十年九月中旬頃第一相互渡部常務から被告人向井に対し、本件一億円の預金が実現すれば右金額を謝礼として出す旨の申し入れがあり、次いで、また根橋よりも同じく同被告人に対し、右一千万円を謝礼として被告人山本に出すほか、別に百万円の謝礼を被告人向井にも贈与する予定であるとの話しがあつたので、その後同月下旬頃同被告人より被告人山本に対しその旨を伝達して預金実現方を督促した経緯であつて、被告人山本が根橋に対し積極的に右金員の供与方を要求した事実は認められないから、同被告人については、賄賂要求罪も、また成立する余地がないものと解するのほかはない)。(大審院判例、昭和一一年一〇月九日、同院第四刑事部判決、大審院刑事判例集第一五巻一二八一頁参照)。よつて前記第一、及び第二の各公訴事実については、いずれも犯罪の証明が十分でないから、刑事訴訟法第三百三十六条後段に則り、右各関係事実につき、被告人山本及び被告人向井に対し、それぞれ無罪の言渡をする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 樋口勝 伊東秀郎 柳瀬隆次)

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